「うぁああん!」 「剣路、泣かないの。ほら。」 そうやって甘ったるい声で、泣きわめく剣路を抱きしめてゆらゆらとあやしはじめる。 やっと歩き始めたばかりの彼は好奇心の固まりで、その小さな目に映るもの全てに興味を示すから触って確かめては時々痛い思いをする。 今だってちょっと目を離した隙にちゃぶ台の上にある湯呑みを倒してしまったのだ。幸い剣路に熱いお茶はかからず火傷も怪我もなかったが、陶器が今にも割れそうな大きな音に驚いて風船がはじけたように泣き始めた。 その瞬間、自分に向けられていた視線はあっさりと意識を移してしまったものだから、正直…寂しい、なんて感情が少しでもよぎったと君が知ったらどう思うだろう。 縁側から差し込む薄いオレンジ色の陽の暖かさと規則的に揺られる母のぬくもりがあれば泣き止むには十分過ぎて、剣路はすぐに眠りについた。それを一番近い場所から見届けると、薫は小さな額に小さく口づけて目を細める。 端から見れば優しい母の微笑みでも、己には愛する美しい女(ひと)。 無意識にこっちを向いてと願ったのかもしれない。ふいに戻された視線。 「剣心、どうしたの?」 「何でもござらんよ。」 「嘘。何でもない顔してる。」 そう言って向けられた笑顔は、昔から良く知る無邪気な薫。 それも嬉しいんだけど、剣路に向けるあれも欲しいんだ。 …言いかけて、やめた。 「本当に何でもないでござるよ。それより、剣路を寝かしてやろう。布団を敷いてくるから少し待つでござる。」 大切な人を、一緒に彩る穏やかな毎日を、守りたいとずっと願っていた。 けれど、こんなにも貪欲に欲しいと願うのは薫だけだと、皮肉にも小さなライバルによって気付かされた自分は、どうしたって愚かで浅ましいちっぽけな人間だと思い知らされて…。嗚呼、なんだって欲張りな幸せ者なんだ。 「うん。ありがとう。」 赦し赦されるとは全く違う、惜しみ無く愛情が降り注ぐ世界を生きる事を許された。 **end** お読み頂きありがとうございます。おかげさまで一万打を迎えられました。日頃の感謝を込めて。 許される 2008.6.21《儚くとも。》いと